後日、追記するためのスペースです。

9-1
    図1  遼河文明(りょうが)           櫛目文土器
【 遼河文明 】
中国東北部に遼河という川がある。その流域に古代文明が存在した。
「黄河文明」「長江文明」と並び、「遼河文明」と呼ばれる。
その場所は中国遼寧省凌源市付近で、図1に示すように北京と瀋陽の中間にあり、満州地域の南西部にあたる。
この地域に紀元前6200年頃の大規模な古代遺跡が発見された。
多くの竪穴式住居、墳墓、神殿、中国最古の龍を刻んだヒスイ、琵琶型銅剣、櫛目文土器(最古)が出土した。
櫛目文土器とは、櫛の刃のような器具で土器の表面に幾何学的模様をつけた土器の総称である。(図1)
古代人が居住していた頃、この地域は豊かな環境であったが、後に砂漠化して廃墟になったとされる。

重要なことは、同遺跡の人骨にY染色体ハプログループNが60%以上の高頻度で認められたことである。
9-2
図2 細胞の構造     Y染色体を持つ精子で男児が生まれる    ミトコンドリアDNA 
                                 by佐藤美由紀さま(生命誌ジャーナル)を改変

【 分子人類学 入門 】               
■ Y染色体DNA      (図2中)
・細胞が分裂するとき、細胞核の中に存在する染色質が棒状の構造体に変わる。
 これが染色体である。染色体はDNAの塊であり、遺伝情報を担う。
・男の染色体は(22本×2)+X染色体+Y染色体=46本
 女の染色体は(22本×2)+X染色体+X染色体=46本
・精子・卵子が造られるとき、減数分裂によって、染色体の数は半分の23本になる。
 精子には 22本+Y と 22本+X の2種類ある。
 卵子は  22本+X の 1種類だけ。
・卵子がYを持った精子を受精すればYを持った子 =男子が生まれ、
     Xを持った精子を受精すればYを持たない子=女子が生まれる。(図2中央))
・故にY染色体は父から息子に伝わる。
 Y染色体にあるDNAは男性から男性にそのまま伝わる。
 息子のY染色体は父親由来の遺伝子情報を持つことになる。(男系)
・このことを利用して、父系の調査に利用されている。

ミトコンドリアDNA(mtDNA)   (図2右)
ミトコンドリアは各細胞の中にに多数存在する小さい粒であるが、そのDNAは細胞核のものとは異なる独自の遺伝情報を持っている。
ミトコンドリアは細胞の中でエネルギー生産工場(発電所のようなもの)という重要な役割を担っている。
ずっと昔にある種の細菌が細胞の中に入り込み、ミトコンドリアとなって共生(寄生パラサイト)していると考えられている。

精子は尾(鞭毛)を振って推進し、膣から子宮を通り卵管にいる卵子に達する。
精子のミトコンドリアは尾の根元付近に少数存在し、尾の運動エネルギーの源になっている。
受精で精子が卵子の中に入り込むと、精子のミトコンドリアは消滅してしまう。
その消滅のメカニズムは現在まだ不明である。(図2右 ゲノム=全DNAのこと)
卵子は自分のミトコンドリア(約25万)を持っているから、生まれた子供のミトコンドリアはすべて母親由来の遺伝情報を持っていることになる。
ミトコンドリアDNA(mtDNA)が母親から子に受け継がれる特性により、母系を追求するための研究に利用されている。

ハプログループ、サブハプログループ
世界各地のさまざまな地域集団のDNAを分析し、DNA配列の似た者同士をまとめていくと、いくつかのグループに分かれる。このグループのことをハプログループという。
あるハプログループの中に突然変異でDNA配列に部分的な違いが生じたグループを元のハプログループのサブハプログループという。
   例えば(図3左)のNとかOはハプログループN、ハプログループO という。
          O2ははハプログループOからみるとサブハプログループになる。

【 Y染色体DNAハプログループN の移動 】
9-3
図3        左 Y染色体系統樹 (Wikipedia  を改変)
             右 Y染色体ハプログループN、Oの拡散(Wikipedia  by Maulucioni)
■ Y染色体系統樹の説明 (図3左)
人類のはアフリカで誕生したと考えられている。
図はY染色体DNAのハプログループの系統を辿って作成したものである。
      ハプログループNOが突然変異でNとOに分かれている。
Y染色体ハプログループNとOの移動拡散(図3右)
各地域のY染色体を調べ、その移動を推定したものである。
この図はNとOに焦点を絞ったもの。
アフリカを出たCFは変異してサブグループに分岐しながら移動拡散していった様子がわかる。
NOが中国北部で分岐し、Nは北方へ、Oは南方へと拡散した。
9-4
図4    ハプログループNの分布 ( by Maulucioni) 
9-5
図5     ハプログループN、Oに関連する東アジアの民族移動 ( by ABCEditer)
               
                       
 (この章では北欧に関係するハプログループNだけを取り上げ、Oには言及しない)
Y染色体ハプログループNは約4万年前に東アジアで発生したと推定される。
やがて約2万年前に東アジアでサブグループに分岐し、N1などができた。
遼河文明遺跡の人骨からも、N1が60%以上の高頻度でみられる。
そして(図4)のように、ユーラシア北部、さらにはシベリアを横断して北欧(バルト海沿岸)まで拡がった。

(図5)で、遼河文明の地方(満州南西部)のハプログループN1から約1万2,000年前に分岐したN1a1がフィン・ウゴル系民族に伝わったことを示す。
フィン系はフィン人、ウゴル系はハンガリー、西シベリア人とみてよい。
 
9-6  
図6  ハプログループZ(mtDNA)の分布
            ( by Karachanak-Yankova, S. , Nesheva, D. , Galabov, A. and Toncheva, D.)
 
【 ミトコンドリアDNAハプログループZ 】
ハプログループZ(mtDNA)は中国北部で誕生したと考えられる。
フィン人、サーミ人、ロシア人、ハザーラ人、日本人、朝鮮人、中国北部、カムチャツカの先住民などでみられる。
一部は先述のY染色体ハプログループNと同じような拡散経路をたどったと考えられ、ウラル語族との関連が想定される。
つまり、ハプログループN(Y染色体)を持った男性とハプログループZ(mtDNA)を持つ女性の集団が移動していったことになる。

9-7 ノルウェー、スエーデン、フィンランド人
図7 ノルウェー人      スエーデン人      フィンランド人
   V型例のみ掲載。上記3国にJ型も存在するが、V型が多数派と思う

【 フィン人 】
現在のフィンランド共和国の91.7%をフィン人が占める。
フィン人は外見上、典型的ゲルマン系(ヨーロッパ系コーカソイド)に似て、金髪碧眼(青い眼)が多い。
しかし、言語的にはルーツが明らかに違い、ウラル語族系のフィン・ウゴル語派に属する。

分子遺伝子学的には、母系のミトコンドリアDNAはヨーロッパの民族にみられるハプログループH、U、J、Tが多いが、古いヨーロッパの民族のミトコンドリアDNAを多く保有しているとされる。
一方、父系のY染色体ハプログループの割合はN1a1 (61%), I (29%), R1a (5%) , R1b (3.5%)とN1a1が圧倒的である。
フィン人およびエストニア人の祖先は約5000年前に現在のエストニアあたりに到着したと考えられているが、櫛目文土器が4000年頃からバルト海沿岸に出現することと整合している。

以上を総合すると、中国東北部(遼河文明あたり)から1万2,000年前頃出発した人たちが櫛目文土器文化を携え、5000年前頃にバルト海沿岸に到着した、ということである。

9-8 フランス人
 図8 フランス人の3タイプ 
      左:nordic type          北欧タイプ       Henry De Lesquen氏  (V型耳垂)
      中:alpine type          高山タイプ       Camille Chautemps氏
      右:mediterranean type  地中海タイプ   Edmond Rostand氏

【 ヨーロッパの密着型耳垂 】
私はこのフィン人がヨーロッパにおける密着型耳垂の源流になったと考える。
第2章で紹介したが、耳垂の形状に関係する遺伝子座は多数ある(49とか)。
だから、例えばY染色体ハプログループNが密着型耳垂に関係するとは思っていない。
フィン人の祖先が中国東北部から持ってきた遺伝子の中に、密着型耳垂に関係するものが含まれていたと考えている。

フィン人と周辺のゲルマン人の混血、フン族の影響(375年)、ゲルマン人の大移動、ヴァイキング(800年 - 1050年)、ノルマン人の移動、ノルマン・コンクエスト(1066)、モンゴルのヨーロッパ侵掠(13世紀)などが、ヨーロッパ人の密着型耳垂の波及に影響したのだろう。

フィン人、フン族、モンゴルはすべて中国東北部と関係しているのである。

図8は web のQ&Aで、回答者がフランス人の典型的3タイプとして例示したものである。
回答者は耳垂には言及しなかったが、北欧タイプの例はV型耳垂である。

9-9
   図9 ネイティブ・アメリカンズ                           ペルー先住民

9-10
    図10   アフリカ マサイ族               オーストラリア アポリジニ

【 仮説:密着型耳垂の中国東北部単一起源説 】
以上の考察から、ユーラシア大陸の密着型耳垂の源は中国東北部であると言ってもよいだろう。
西アジア、中央アジアはユーラシア・ステップ、シルクロードなどで東アジアと繋がっている。

アメリカ州(南北アメリカ大陸)の先住民の祖先は最終氷期の時代にシベリアからベーリング陸橋(氷期にはベーリング海峡は陸続きになっていた)を通ってやってきたモンゴロイドである。その時期はおよそ2万年前であり、約1000年で南米末端まで拡がったとされる。
私は、彼らの耳垂は分離型であったと考える。(図9 参照)

アフリカでは分離型耳垂が多数だが、ナイジェリアで密着型耳垂が10%存在するという報告がある。
今のところ、ヨーロッパ人(ナイジェリアは英国)の長年の植民地支配の影響と考えたい。

オーストラリアの先住民はアボリジニであるが、最古の祖先は数万年に渡ってきた南インド系とされている。17世紀からはヨーロッパ人の侵略が始まるが、それ以前に中東、アフリカ、インドネシアの人たちとの接触があったらしい。
私は、アボリジニの耳垂は本来分離型であったと考える。

そこで私は、「世界の密着型耳垂の起源は中国東北部にある」という単一起源説を仮説として提唱したい。
つまり、中国東北部で発生した密着型耳垂が全世界に拡散した、ということである。
ただし中国東北部での発生よりずっと後に、他地域で突然変異によって密着型耳垂が発生する可能性は否定できない。

私の仮説は科学的根拠に乏しく、推論・類推の積み重ねであることは認める。
アマチュアとしては、これが限界である。
専門家は他の重要な研究に忙殺されているためだろうが、密着型耳垂の起源について言及していないようである。
そこで、あえてこの仮説を発表する次第である。
いつの日か、分子人類学によってこの仮説が立証されることを願っている。
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疲れましたので、当分ブログをお休みします。 年ですねえ。  
ご愛読ありがとうございました。

8-1 XiongnuMap
    図1  BC250年、匈奴の版図(Wikipedia by Gabagool )

【匈奴(きょうど)】
紀元前4世紀頃から紀元後5世紀にかけて中央ユーラシアに存在した遊牧民族である。
「匈奴」は戦国時代(紀元前403年~紀元前221年、秦の中国統一以前)の事象を記した中国の史書『戦国策』に初出する。
中国を屡々侵犯するので、これを防ぐために万里の長城を築くきっかけになった。

匈奴族はBC209年匈奴帝国を興し、周辺の大国である月氏・東胡を従えて大帝国となり、中国にも侵入した。
やがて飢饉の影響などで勢力が衰え南北匈奴に分裂したが、北匈奴は後漢と南匈奴の連合軍に討伐されたりしてAD93年滅亡した。

その後北匈奴は行方不明となり中華圏から消え去ったが、北匈奴の後裔がフン族であるとする説が存在する。
8-2 Eurasian_steppe_belt
    図2 ユーラシア・ステップ (Eurasian Steppe) シルクロードに当たる Wikipediaより
8-3 Hunnenwanderung

    図3 フン族の西方への移動の推定図   Wikipedia by Stw

【フン族】
4世紀から6世紀にかけて中央アジア、コーカサス、東ヨーロッパに住んでいた遊牧民・騎馬民族である。中国史書にある匈奴と同じとみる学者も多い。
遺伝子学的調査も行われているが、確定的なことはわかっていない。

フン族は東方から中央アジアの草原(図2:ユーラシア・ステップ)を経て西進し、360年頃にカスピ海に注ぐヴォルガ川を渡り、アラン族を服従させた。(図3)

更に375年頃黒海北方に到来し、、定住していた東ゴート族をを蹂躙した。
ゴート族は古代ゲルマン系民族であり、当時東西ゴートに分かれていた。
西ゴート族はドナウ川を渡ってローマ帝国領内に逃げ込み、保護を求めた。ローマはそれを許したが、与えられた土地で食べていけないことからゴート族は反乱を起こした。
ゴート族はローマ帝国内を略奪しながら移動し、ローマ帝国軍と衝突を繰り返した。

8-4英語版民族の移動WikipediaよりInvasions_of_the_Roman_Empire_1
     図4  ゲルマン民族の大移動  Wikipedia by MapMaster
 
このゴート族のローマ帝国内への移動が端緒となり、ゲルマン民族の大移動(375~)が始まった。
きっかけはフン族の侵略ではあるが、ローマ帝国北方に住むゲルマン民族の人口増加と農作物を生産する耕作地が不足したことが原因である。

ゲルマン民族は多くの部族にわかれていたが、それぞれがヨーロッパ各地に王国を作った。

    (国名)                (地域)           (時期)    (滅亡)
  西ゴート:       イベリア半島     418~711      ウマイヤ朝が征服
    ヴァンダル:    北アフリカ         429~534      ビザンツ帝国が征服
 ブルグンド:     ガリア中部        443~534      フランク王国が征服
    東ゴート:        イタリア半島     493~555      ビザンツ帝国が征服
 ランゴバルド:    イタリア北部     568~774      フランク王国が征服
    アングロサクソン:  ブリタニア        449~829      エグバートの統一
 フランク:                 ガリア北部        481~843      分裂し、伊・仏・独になる
8-5 Huns450
       図5 フン王国の支配地450年頃  Wikipedia by Slovenski Volk

一方、フン族は現在のハンガリーを中心に現在のドイツ・ポーランドを含む地域(パンノニア)に王国をつくり、5世紀前半のアッティラ大王の時代に全盛期となる。
8-6 Huns_by_Rochegrosse_2
      図6 アッティラ軍がガリア都市を略奪 Wikipedia
8-7b Attila_in_Gaul_451CE.svg - コピー日本語

     図7 アッティラのガリア侵略とカタラウヌムの戦い Wikipedia by MMFA

アッティラは東ローマ、西ローマと戦って領土を拡大した。
451年ガリアに侵入し、都市を略奪した。
西ローマ・西ゴート・ブルグント・フランクの連合軍がこれを攻め、北フランスのカタラウヌムの戦いでアッティラ軍を破り、アッティラ軍は本拠のパンノニア平原に退いた。
(ローマ軍も大きな損害を受け、後にフランク族のガリア侵入を招いた)

翌452年体勢を立て直したアッティラはイタリア半島に侵入し、北イタリア各地を蹂躙したが、疫病のため撤退した。
そして翌453年パンノニアでアッティラが急死し、フン族の王国は消滅した。

耳型の話に戻る。
北欧に多く見られるV型耳垂のルーツはフン族のヨーロッパ侵攻による混血である。
これで決まり、と思った。
 (北匈奴→フン族→ヨーロッパ侵攻→ゲルマンの大移動)

しかし、まだずっと昔の話があったのである。

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