5-1対馬の展望所から見た釜山の夜景20121024_227073
 図1 対馬から望む釜山の夜景:(一社)対馬観光物産協会ブログさまより
                                    
約30万年前、日本列島は大陸と陸続きになっていて、ナウマンゾウのような動物や人類が往来していた。
約13万年前に始まった最終間氷期が続くと、朝鮮海峡が形成されていった。
現在、釜山から対馬まで50km、対馬と壱岐間は50km、壱岐と九州北岸とは20kmしかない。
条件がよければ、対馬から釜山が見える。(夜景に限らず日中でも)
このルートは昔から日朝の人々が往還する海の道になっていた。

篠田氏は前回のブログで、東南アジアから初期拡散によって北上したグループの中に3万~2万年前、西から日本列島に流入した集団が南部縄文人の母体となった、と述べている。
私は、その一部が朝鮮半島南端に居住したと考える。

実際、朝鮮半島の南端(釜山付近)に倭人がいたことは確実である。
当然、韓人との混血もあったはずだ。
この頃はボーダーレスの時代であったことを強調しておきたい、

やがて水田稲作技術が中国から朝鮮半島南部にも伝来し、この地方は温暖な気候によって弥生時代以前に本格的な農業社会に入っていた。
渡来系弥生人は朝鮮半島の南部の人々が主体であっただろうから、前回の図3でDNAが現代日本人と似ているのに矛盾はない。
また、現代韓国人が日本人と北京中国人の中間に位置しているのも理解できる。
(蛇足:篠田氏の前掲の本を読んだら、図の現代韓国人の症例が1例とあるのに驚いた。
弥生人や縄文人のDNAならいざ知らず、現代韓国人のデータなら多数得られると思う。
政治的問題でもあるのだろうか)

弥生時代早期は紀元前400年頃、後期は1~2世紀である。
その頃の古代の朝鮮の歴史をみてみよう。

5-2原三国時代 - コピー
 図2 古代の朝鮮半島   kousin242さまのサイト「⓺高句麗と倭国・大和の戦い」より

古朝鮮は檀君朝鮮・箕子朝鮮・衛氏朝鮮の三朝鮮の総称であるが、前2者は神話に類し、史実的を示す史料がない。

衛氏朝鮮:漢民族の燕国(前5~前3世紀、今の北京付近から遼東半島に至る領土)から亡命した満がBC195年頃朝鮮西北部に建国したもので、今の平壌を首都にした。BC109年漢の武帝に攻められ滅亡する。

漢四郡:漢はBC108年、衛氏朝鮮の地を植民地とし、楽浪郡、真番郡、臨屯郡、玄菟郡の漢四郡を置いた。楽浪郡は漢の朝鮮支配の拠点となった。
後漢末期(204年頃)に公孫氏が楽浪郡を支配下に置き、その南部に帯方郡を分置した。
(220年 - 265年):238年魏は公孫氏を滅ぼし、帯方郡と楽浪郡は魏の直轄地になった。
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   図3   陳寿著『三国志』魏志・巻30  東夷伝>韓伝 (成立280年~290年)

魏志・韓伝』には、「帯方郡の南に韓があり、その南はと接す」「韓は馬韓・弁韓・辰韓(三韓)にわかれている」「弁辰の瀆盧国はと接している」とある。
三韓は帯方郡と楽浪郡に朝貢していたが、後には馬韓は百済、辰韓は新羅に統一され、
弁韓は任那(加羅)という小国家連合となった。(三国時代)
任那は、その後新羅に滅ぼされる。
晋(265年 - 420年)の時代に帯方郡は南下してきた高句麗が支配するようになった。

高句麗(前1世紀頃-668年):四郡中北部にある玄菟郡の治安が悪化し、前1世紀中葉その地に高句麗国が誕生する。始祖の東明王(朱蒙チュモン)は扶余の王族出身である。
扶余(前4世紀-494年):現在の中国東北部(満州)に存在した国で、ツングース系民族である。
百済(4世紀前半-660年):漢江下流西岸地域を支配し、漢城(ソウル)に都をおいた。始祖温祚の出自は扶余で、高句麗と同族とされる。後に高句麗に攻められ朝鮮半島の西南部へ移っていった。
新羅(前57年?-935年):朝鮮半島南東部に興った国で、史実性があるのは4世紀以後とされる。

このように朝鮮半島は早くから漢民族の支配下にあった。しかし中国は朝鮮半島南部の韓人・倭人にはあまり関心が無く、領土にしなかったようである。
その後、朝鮮半島は高句麗・百済(両者は扶余(ツングース)出身)・新羅に支配された。 
支配者が変わったり統治政策が変更されることにより、抑圧と収奪を受けた土着民の中にはこれを避けて移住する集団が発生する(自然災害も動機になる)。
渡来系弥生人はそのような難民ではないだろうか。

5-4 北朝鮮
    図4 北朝鮮美女軍団                       

朝鮮民族の耳垂型だが、私は次のように考えている。
1.古代朝鮮半島南部の原住民(韓族・倭人)はJ型が主体だった。
2.朝鮮半島の中部は漢族由来のV型が多かった。
3.朝鮮半島の北部は扶余(ツングース)由来のV型が多かった。
4.高句麗・百済(ツングース)の南下によって、混合・混血が促進された。
5.以上の結果、朝鮮半島では南部はJ型がかなり存在し、北にゆくほどV型が多いのではないか。